久 里浜海岸:海岸幅500mの内、ペリー公園前から平作川迄300mの間にフェニックスが大きく成長しています。 当時の水泳訓練場とはがらりと様子が違いますね。 ぺりー上陸記念碑:1853年7 月14日久里浜に上陸したペリーはアメリカ大統領からの国書を日本側に引き渡した。 ペリー上陸を記念して明治34年 (1901年)7月14日に記念碑(碑文の字は伊藤博文)が
建てられた。
ぺ りー記念館:ペリー来航100周年(1953年)に、日米友好のシンボルとしてペリー記念館が 建設された。
7 月14日のペリー祭には式典や花火が毎年行われているが、平成25(2013)年は160周年に
なるので特に盛大に行われた。
燈明崎と燈明堂
1648 年に作られた日本式の灯台で1872年迄、224年間1日も休まず夜間の海上安全確保の役割を果たした我が国の
灯 台史上極めて貴重な物です。 階下は番人小屋で、上の紙張障子の中には直径36.4cm、深さ12.2cmの銅製の燈明皿が置かれ、一晩に燈芯百筋、
菜 種油1.8リットルが灯され、その光は7.2kmまで達したという。 昭和43年2月、横須賀市の史跡に指定され、当時の姿そのままに復元されたものです。 浦賀一周コーストンネル出口から右へ500mの所にあり浦賀湾の入口に当たる。すぐ横まで車でもOK で駐車場もあ ります。
野 比一周コース(10Km)の難所でしたね。生徒当時は米軍の弾薬庫があったような辺鄙な所で見渡す限りススキが生えていた様に覚えて
い るのですが今では住宅地の中を通る普通の道、当時の面影はありません。
昔 は狭い山道で通行する人はあえぎなが ら上り、尻をこすりながら下りたと言われる程の急な坂。それから『尻こすり坂』と名付けられたと
い う。また天秤棒の両端に吊るす籠の尻を地面に擦りながら上り下りしていたことから名付けられたとも言われています。
野 比一周コース (10km)の中で、野比海岸は、ほぼ一直線で約3km。 行軍で歩く時は嫌いなコースでしたが、なぜかこの海岸は好きでした。あの 草間っつあんもここではのんびりしていたように思います。 ルールなしのラグビーのような球技がありましたね。校庭では危険なのでここでしかできなかったのですが、競技の後の休憩時 間が待ち遠しかったです。 東日本大震災時の大津波やその後の高波などで大量の砂が海中に流されて砂浜の奥行が約半分位に減少し、且つ砂の量も道路際まで あったのものが、すっかり流されて下の岩肌が見えるようになってしまいました。
左 側の煙突は焼却場の 煙突,右側は東電の煙突で200mと180mありま す